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がたん、と物にぶち当たる音がして、全身に痛みが走った。もう身体は痣だらけなのだろう。はぁはぁと荒い息をしている自分を醜いと思いながらも顔を上げれば、そいつがくつりと笑う気配がした。ぎり、と強く歯噛をしても、そいつの笑みが深まった(気がした)だけだった。 「おら、ンなとこで止まってんじゃねェよ」 俺を殺してェんだろーが。にやり、と笑っているのだろう。心底面白いものを見るような声がした。それに腹が立って、もう一度立ち上がれば「そうこなくちゃ、なァ」と笑った。憎い、憎い、こいつが憎い。殺してしまいたい。腕を前に突き出して、周囲の物を探る。ぶつからない様にしながら慎重に進むが、足元の段差に危うく転びそうになった。なんとか持ち堪えれば「っくく、危ねぇなァオイ」と馬鹿にしたような口調でそいつが言った。 「っうる、さい!」 ぐ、と足に力を入れて、次は何も周囲を気にせずに突き進む。まっすぐ行けば、そいつのところに行けることは分かっている。早く、早く、こいつを殺さなければ。妙な焦燥感が胸を駆り立てた。理由はさっぱり分からなかったが、理解しようとも思わなかった。「ほぉ、」と関心したように呟いたそいつの声が聞こえた。瞬間、あと少しで届きそうだった気配が消えた。慌てて立ち止まり、きょろきょろと視線を巡らす。といっても、目をしっかりと覆っている布のせいで、なにも見えはしなかったけど。 「どこ見てやがる」 「な、っぅあ!!」 突然耳元で聞こえた声に身体を揺らせば、次の瞬間には足払いをされ床に転がっていた。冷たい感触に背中を強く打たれ、先ほどよりも酷い激痛が走る。呻き、身体を縮こませれば、また声が聞こえた。 「相変わらず、気配を読むのがなってねェ」 ふう、と吐き出された紫煙が顔にかかるのがわかった。悔しくて何も言えなかった。何を遊ばれているんだ、どうしていまさら、そんな思いがつらつらと頭を過ぎり、思わず涙が滲む。これほどの屈辱はなかった。 「コレ、外して欲しいんだろ」 目元に大きな手のひらが目元に触れた。少しばかり冷たいそれが布越しに伝わり、かぁ、と頬に熱が集まるのが分かった。条件反射とでもいってよいような速さで彼の手を叩き落とせば「強情も相変わらずか」と笑った。 「っ誰がお前に頼るか!!もう、お前には、頼らないと決めたっ」 「その格好でなにほざいてやがる。説得力ねェんだよ」 「ならばどうしてわたしに付き纏う!?あのとき、要らないと突き放したのはお前だろう!」 「…ハ、」 だんっ、と手首を掴まれ、首筋にそいつの髪が当たったと思えば、首筋に噛みつかれていた。そのまま食いちぎる気か、と声を漏らさないように唇を噛み締めた。だが、一向に痛みはやってこない。確かに噛まれているのだが、痛みはないのだ。強いていうのならば、歯の感触はある。だが、この男にとって、こんなものは、(いったい何をしているんだ、こいつは) 「な、にを、」 「黙れ」 「!、は、離せ、っ」 耳元で囁かれた声に否応がなく身体が反応してしまう。何か激情を押し込めえたようなそいつの音に、ありとあらゆる神経が破壊されていくような錯覚を覚えた。ちゅ、と水音が響き、愕然と目を見開けば、その男は手首を押さえ込んでいる手に力を入れた。何も言わずに首筋に舌を這わす。「ん、」久しぶりに聞いた自らの鼻にかかった声に、ぞくりと背筋が粟立った。 「っい、や…!」 「いやじゃねぇだろうが」 「い、っいや、だぁ、」 目元が熱い。喉の奥が、からりと乾いて声が裏側に張り付いた。それは布という闇で覆われた中に見えた光景のせいか、それともこの男には敵わないという悔しさなのか。どちらであれ、じんわりと布に染み込んでいく液体を誤魔化す術はなかった。せめてもの抵抗といわんばかりに首を正反対へ動かせば、ぐ、と顎を捉えられる。 「逃げんじゃねぇよ、」 「はな、」 離せ、そう言おうとした唇は、次の瞬間には塞がれていた。こいつは、この男は、どこまで追い込めば気が済むのか。まるで獣に貪られているように乱暴なそれは、前のそいつとなんら変わりない口付けだった。否、口付けなどと洒落たものではないのかもしれない。ならば何か、そういわれると、どうにも答えることはできないのだけれど。(分かっているのはもっともっと何よりも本能に近い行為だということ)更にぐちゃぐちゃと口内を掻き回してくるそれに眩暈に近いものを覚えながら、がり、とそれに噛み付いた。苦い鉄の味がした。不意を衝かれたのか、その唇が一瞬離れた。そして、まるで無意識に近い口から零れ落ちたのは、 「どう して、 しんすけ」 彼を罵る言葉でもなく泣き言でもなく、彼の名前とわけのわからない疑問詞だった。きっと今日初めて呼んだ名前だ。その声はおかしいほどに震えていて、彼の名前は切なくひんやりとこの喉に沁みこんだ。そして「」左の瞼に、唇の感触がした。 きっとこれは愛しさではない、恨めしさでもない、ただの憎しみだ。 そう心に刻み込んでいる間にも、瞼から侵入した彼の熱は身体を犯していった。 |
重 ね た 唇 で 憎 し み を 知 る |